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最高裁判所第三小法廷 昭和43年(あ)319号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

検察官の上告趣意について。

所論のうち、憲法二八条、三一条、二一条違反をいう点は、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神にそくして、これと調和しうるよう、合理的に解釈されるべきものであつて、地方公務員六一条四号の規定も、憲法の趣旨と調和しうるよう解釈するときは、争議行為自体が違法性の強いものであることを前提とし、そのような違法な争議行為等のあおり行為等であつてはじめて、刑事罰をもつてのぞむ違法性を認めようとする趣旨と解すべきであることは、当裁判所の判例(昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号三〇五頁)とするところであるから、これと同旨に出た原判断は正当であつて、論旨は理由がない。

次に、判例違反をいう点は、所論引用の昭和二四年(れ)第六八五号、同二八年四月八日大法廷判決(刑集七巻四号七七五頁)は、昭和三九年(あ)第二九六号、同四一年一〇月二六日大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)ならびに原判決言渡後の昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号三〇五頁)により、実質的に変更されており、また、所論引用の昭和四〇年一一月一六日東京高等裁判所判決(高刑集一八巻七号七四二頁)は、原判決言渡後、前示昭和四四年四月二日大法廷判決により破棄されたもので、原判決の所論判示部分は、前示のとおり、右大法廷判決と同旨のものであるから、刑訴法四一〇条二項の趣旨はいずれも理由がない。ただ、所論のうち、原判決の判断が所論昭和二六年(あ)第三八七五号、同三〇年一一月三〇日大法廷判決(刑集九巻一二号二五四五頁)と相反するとの点は、原判決は、憲法二一条の観点から、地方公務員法六一条四号の前示のように限定的に解釈すべきものである旨判示しているところ、右大法廷判決は、同号の規定につき何ら限定的解釈をすることなく、これが憲法二一条に違反するものではないとの見解をとつているのであるから、原判決は、右大法廷判決と相反する判断をしたことになるものといわなければならないけれども、前示昭和四四年四月二日大法廷判決および昭和四一年(あ)第一一二九号、同四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号六八五頁)の趣旨に徴すれば、事実の確定した事実関係の下においては、原判決が、本件争議行為は、その目的、手段方法、期間、国民生活に及ぼした影響等に照らし、違法性が強いものとはいえないから、被告人らの本件行為はすべて地方公務員法六一条四号に該当せず、無罪とすべきものであるとしたのは、その結論において正当であつて、原判決には所論の判例違反があるが、この判例違反の事由は、刑訴法四一〇条一項但書にいう判決に影響を及ぼさないことが明らかな場合に当たり、原判決を破棄する事由とはならない。

よつて、同法四〇八条により、本件各上告を棄却することとし、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官下村三郎、同松本正雄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官下村三郎、同松本正雄の反対意見は、次のとおりである。

原判決は、地方公務員法六一条四号の解釈を誤り、罪となるべきものを罪とならないとする違法を犯したもので、破棄されるべきものと考えるが、その理由の詳細は、昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号三〇五頁)の裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外、同下村三郎、同松本正雄の反対意見と同趣旨であるから、ここにこれを引用する。(松本正雄 田中二郎 下村三郎 飯村義美 関根小郷)

検察官の上告趣意

原判決は、地方公務員法(以下地公法という)六一条四号は争議行為遂行の共謀、そそのかし、あおり、企て(以下煽動行為等という)を処罰の対象としているが、煽動行為等のない争議行為は考えられず、煽動行為等を処罰することは憲法上不可罰的な争議行為自体を処罰することになるから、同条項の処罰の対象は、煽動行為等がなされた争議行為が特に違法性の強い場合に限ると解すべきであり、かく解しない限り同条項は憲法一八条、二一条、二八条、三一条に違反するとしたうえ、本件被告人らが煽動した争議行為は、その目的、手段方法、影響等から見て違法性の強い争議行為とはいえないので、被告人らの本件行為は地公法六一条四号に該当しない旨判示している。

しかしながら、原判決の右判断は、憲法一八条、二一条、二八条、三一条の解釈を誤り、かつ最高裁判所ならびに高等裁判所の諸判例に相反するものであつて、そのいずれもが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑訴法四〇五条、四一〇条一項により原判決は当然破棄せらるべきものと思料する。

以下その理由を述べる。

第一点 原判決は、憲法二八条の解釈を誤り、かつ最高裁判所および高等裁判所の判例に違反する。

一、原判決は地公法六一条四号の煽動行為等の解釈につき、

「(1) 労働運動の歴史から考えて、争議行為に刑事制裁を科することは必要最少限度に止むべきであり、ことに同盟罷業のような単純な不作為に刑事制裁を科することは特別に慎重でなければならない。

(2) 地公法三七条一項、六一条四号はすべての地方公務員の争議行為を一律に禁止し、その煽動行為等に刑罰を科しているのであるが、地方公務員の職務の停廃が国民生活に対して及ぼす障害の程度はその職種により一様ではない。すでにかつては地公法の右条項の適用を受けていた現業職員である地方公営企業に勤務する地方公務員については立法上その取扱を改めて右の点について刑罰を科することをやめているのであり、その他の地方公務員といつても、その職種は種々雑多であり、その職務の停廃が一時も許されないような警察、消防等の職員もあれば、現業職員と大差ない職務に従事する職員もあるのである。

(3) 争議行為は団体行動であるから、その実行について主唱、討議、説得、伝達がなければ事実上行なわれ難く、これらの行為のない争議行為というものは考えられず、しかも、これらの行為が地公法六一条四号の煽動行為等のいずれかに該当することは明らかである。したがつて、争議行為の煽動行為者等を処罰することは争議行為を刑罰をもつて禁止する結果となる。

(4) ところで、地公法が争議行為の

行行為者に対する処罰規定を欠いているのは、特別の理由のない限り、争議行為の実行行為者を処罰することは、憲法一八条、二八条、三一条に違反するので、争議行為の実行行為者を不可罰的であるとしたものと考えられる。

(中略)

以上の諸点を綜合して考慮すると、地公法六一条四号の処罰の対象となる煽動行為等は、煽動行為等がなされた争議行為が特に違法性の強い場合に限ると解すべきである。煽動行為者等に刑事責任を問うには、右のように解しない限り、憲法一八条、二一条、二八条、三一条に違反するものと解するのである。」

と判示している。

二、しかしながら、原判決の右判断は、左記理由によりその誤りであることが明らかである。

1 原判決は、地方公務員は国民全体の利益の維持増進をその職務とし、その職務の停廃は国民生活全体の利益を害し国民生活に重大な障害を招来するものであること等の理由により、地公法三七条一項が地方公務員の争議行為等を禁止しているのは、憲法二八条に違反するものではないとしながら、そのことからただちに地方公務員の争議行為等の煽動行為等に刑罰を科する地公法六一条四号が憲法二八条に違反しないとはいえない、というのである。

しかし、地公法六一条四号はその文言上明らかなとおり、労働基本権尊重の建前から、たんに同盟罷業、怠業のような単純な不作為はもとより、その他争議行為に参加したにすぎない者を処罰の対象とはしないという極めて周到な考慮をめぐらすかたわら、これら争議行為遂行の煽動行為者等だけを処罰することとしているのである。けだし、このような煽動行為等は違法な争議行為の原動力となり、またこれを誘発、助長する危険性を顕著に包蔵する行為であつて、その反社会性においては違法な争議の実行行為そのものより甚だしく大である。そして、地方公務員は住民全体の利益の維持増進をその職務の停廃は住民の生活全体の利益を害し住民の生活に重大な障害をもたらすものであることを考えた場合、かかる行為に刑事制裁を科することには十分な合理的理由が存するのである。

元来、労働基本権制限の程度は、労働基本権の保障と公共の福祉の要請とが適正な均衡を保つことを目的として決定さるべきであるが、具体的制限の程度を決定することは立法府の裁量権に属するものというべく、その制限の程度がいちじるしく右の適正な均衡を破り、明らかに不合理であつて、立法府がその裁量権の範囲を逸脱したと認められるものでない限り、その判断は合憲、適法なものと解さるべきである(昭和四〇年七月一四日和教組専従休暇不承認処分取消請求事件最高裁大法廷判決、民集一九巻五号一一一九頁参照)。

かかる観点から見るとき、地公法六一条四号の規定は、労働基本権の尊重と公共の福祉の要請との調和に配慮の跡がうかがわれ、両者がいちじるしく均衡を失しているとは到底認められないので、憲法二八条に違反しないことは明らかである。

この点につき、昭和四一年一〇月二六日の東京中郵事件最高裁大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)も、地公法六一条四号の趣旨につき、「一方で、これらの公務員の争議行為は公共の福祉の要請によつて禁止されるけれども、他方で、これらの公務員も勤労者であり、憲法によつて労働基本権が保障されているから、この要請と保障を適当に調整するために、単純に争議行為を行なつた者に対しては、民事制裁を科するにとどめ、積極的に争議行為を指導した者にかぎつて、さらに刑事制裁を科することにしたものと認められる。」として、同条項が労働基本権と公共の福祉との調和の上に作られていることを肯認しているのである。

2 原判決は、地方公務員の職務の停廃が国民生活に対して及ぼす障害の程度はその職種により一様ではなく、その職務の停廃が一時も許されないような警察、消防等の職員もあれば、現業職員と大差のない職務に従事する職員もあるのに、すべての地方公務員の争議行為を一律に禁止し、その煽動行為等に刑罰を科しているのは憲法二八条に違反するというのである。

しかし一般的に言つて、法の規制対象の中には種々程度の差があることは当然であつて、どの程度の範囲のものを同一規制の対象に包含せしめるかは、その程度の差が明らかに不合理と認められない限り、立法府の裁量に委ねられているところである。現に、三公社五現業の業務について見るに、その業務の停廃が国民生活に与える障害の程度は、各業種によつて相当の差異が認められるのであるが、中郵事件最高判決は、「いわゆる五現業および三公社の職員の行なう業務は、多かれ少なかれ、また、直接と間接との相違はあつても、等しく国民生活全体の利益と密接な関連を有するものであり、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあることは疑いを入れない。」として、公労法一七条が三公社五現業の職員の争議行為を一律に禁止し、その違反に対して民事制裁を課することにしているのは憲法二八条に違反しない旨判示しているのである。同様に、地公法の適用を受ける非現業公務員の職務の停廃が住民の生活に対して及ぼす障害の程度はその職種により一様ではないが、いずれも公共的性格の強い職務であるから、これらを同一の規制対象の下におくことが憲法二八条に違反するとは到底考えられない。

原判決は、地方公務員のなかには、その職務の停廃が現業職員と大差のない職務に従事する職員もあるという。しかし、地公法の適用を受ける非現業公務員は、住民全体の奉仕者として主に地方公共団体の行政事務に従事するものであるに反し、現業公務員は、公共役務の提供を目的としてもつぱら経済活動に従事するものであり、両者間には職務の公共性の強さにおいて質的差異が存するのである。教育公務員の職務は、一般の行政事務とはいささか異なる性質のものであるが、学校の教員は全体の奉仕者であり(教育基本法六条二項)、殊に正しい人間形成と将来の国家社会の担い手となるに必要な資質の形成という小中学校における教育目的にかんがみれば、地方社会にとつて極めて重要な公共性の強い職務であり、教育公務員の争議行為が、単に教育計画の正常な実施を阻害するのみならず、児童生徒および保護者等の精神面にも打撃を与え、住民の生活全体に重大な障害をもたらすおそれのあることは明らかである。したがつて、教育公務員は、現業公務員に準ずるものではなく、非現業公務員の性格を有するものというべきであり、原判決の前記判示は誤りとはいわなければならない。

3 原判決は、およそ争議行為は、その実行について主唱、討議、伝達等がなければ事実上到底行なわれ難く、しかもこれらの行為が煽動行為等のいずれかに該当することは明らかであるから、争議行為の煽動行為者等を処罰することは争議行為を刑罰をもつて禁止する結果となる旨判示している。

しかしながら、組合員数名のような零細な労働組合においてはいざしらず、いやしくも相当数の組合員を擁し、幹部役員と称すべき機関を有する職員組合においては、その組織的団体である性質上、必然的に役員の指導により組合が運営されていることは、現にわれわれが日常見聞するところである。このことは、争議行為の遂行についても同様であつて、その実施に際しては、幹部間において、積極的能動分子を中心として討議、企画、決定、指令、説得、慫慂等の方法によつて、幹部役員らが指揮命令の権能を果していることは、一般に見られる社会的事実である。これらの行為は、争議行為そのものとは社会通念上明らかに峻別し得るものである。

これに反し、一般の争議行為参加者は労働組合の一組織員として受動的立場で附和随行的に参加するものがほとんどであり、支部、分会等で討議される事実があつても、これら討議は要するに、上部の組合執行部からの争議企画を下達されこれに参加するよう指導督励されるのに対し、受動的被拘束者的立場で下部組合員として如何に対処するかを協議するにすぎないものである。

したがつて、原判決の前記判示は明らかに誤りである。

この点について、昭和四〇年一一月一六日の都教組事件東京高裁第六刑事部判決(高裁刑集一八巻七号七八四ページ、下級審刑集七巻一一号一九九三ページ)は、

「原判決は、争議行為を企画、立案することも争議行為について指令、指示することも、争議行為について説得激励することも職員が争議行為に参加する一態様に過ぎないとして、指令第三号の発出や被告人ら幹部の行動を一斉休暇斗争に参加した二万数千人の組合員の行動と、これを同列において評価しようとしている。そして指令第三号も、指示激励も争議行為に通常随伴するものだ、というけれども、これは弁護人さえ指摘するとおり、そんな従属的なものではない。争議行為の原動力であり、その支柱である。斗争に参加した組合員一人一人を処罰しないで、その原動力、支柱となつた被告人らの処罰する合理的根拠は十分に存在するのである。

(中略)

畢竟原判決が争議行為に参加する一般組合員と、これを指導して争議行為を誘発、助成する原動力となる者との行動を全く同一視し、……争議行為の原動力となるその煽動等の行為に、争議行為に通常随伴する方法によるものと、一段と違法性の強いものがあるかの如く前提して、本件各被告人らの各所為を煽動行為に該当しないとしたことはすべて誤りである。」

と説示しており、争議行為の実行行為と煽動行為等を同一視する点において、右都教組判決の判断に相反するものといわなければならない。

4 原判決は、前述のように公務員の争議行為の煽動行為者等を処罰することは争議行為の実行行為者を処罰することになると解せられるところ、地公法六一条四号が争議行為の実行行為者に対する処罰規定を欠いているのは特別の理由がない限り、争議行為の実行行為者を処罰することは、憲法二八条等に違反するので不可罰的としたものと考えられると判示している。

しかしながら、原判決が右結論の前提としている、争議行為の煽動行為者等を処罰することは争議行為の実行行為を刑罰をもつて禁止する結果となるとの見解は、前述のように明らかに誤りであるから、争議行為の実行行為自体が憲法上不可罰的であるか否かを特に論ずる必要を見ないのである。

原判決は、争議行為の実行行為者を憲法上不可罰的と解する理由については、処罰規定を欠いているからというだけで、それ以上詳しく述べていない。しかし、実行行為の処罰規定を欠く故をもつて直ちに不可罰的と解するのは早計である。既述のごとく憲法二八条は労働基本権を保障しているが、同権利も公共の福祉の要請による制約を受けることは異論のないところであり、両者の均衡がいちじるしく破られない限り、その制約違反に対し、民事制裁のみならず、刑事制裁を科することも憲法上許されるものと解される。中郵事件最高裁判決も、争議行為に刑事制裁を科することは必要最少限度に止むべきであり、ことに同盟罷業のような単純な不作為に刑事制裁を科することは特別に慎重でなければならないとするだけであつて、争議行為が憲法上不可罰的であるとは述べていないのである。

公務員の争議行為を刑罰をもつて禁止することの合憲性につき、昭和二八年四月八日の政令二〇一号事件最高裁大法廷判決(刑集七巻四号七七五頁)は、「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするものであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは、已むを得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共のために勤務し、かつ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専心しなければならない(国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である。従来の労働組合法又は労働関係調整法において非現業官吏が争議行為を禁止され、又警察官等が労働組合結成権を認められなかつたのはこの故である。同じ理由により、本件政令二〇一号が公務員の争議行為を禁止したからとて、これを以て憲法二八条に違反するものということはできない。」と判示しているのである。原判決の前記判断は右大法廷判決に相反することは明らかである。

5 原判決は、地公法六一条四号の処罰の対象となる煽動行為等は、煽動行為等がなされた争議行為が特に違法性の強い場合に限ると解すべきであるとして、(1)争議行為の目的が公務員の勤務条件の改善の目的ではなく、例えばいわゆる政治的目的のためなされる場合、(2)その公務員の職種からみて国民生活に対し明白かつ重大な障害をもたらす虞がある場合、(3)争議行為の手段方法が暴力を伴いまたは不当に長期間にわたるなど相当でない場合に、違法性の強いものであると解するのが相当であり、具体的には社会通念に照し良識ある判断によつて決すべきものである旨判示している。

しかし、何をもつて争議行為の違法性の強弱を判断するのか、その基準が甚だ不明確である。原判決は、違法性の強い争議行為の限界として三例を挙げているが、たとえば、(2)の公務員の職種からみて国民生活に対し明白かつ重大な障害をもたらす虞がある場合とか、(3)の争議行為が不当に長期にわたるなど相当でない場合とかは、具体的には判断に苦しまざるを得ないであろう。また、地公法六一条四号は争議行為の煽動行為等を独立犯とし、争議行為の行なわれる前にこれを禁圧しようとするものであるが、争議行為遂行の前段階において、右に挙げた三つの場合に該当するか否かを判断することは困難な場合が多いものと思われる。したがつて、右の三例は、本来厳格性を要求される刑事法規の適用基準としては適当でなく、結局地公法六一条四号の煽動行為等を違法性の強い争議行為の場合にのみ限定して解釈する原判決の見解は、実定法規の解釈の限界を逸脱し、新たな立法をするに等しく、到底正当な法解釈とは認められない。

なお原判決は、本件の争議行為が、自習計画をたてるなどして当日の児童生徒に対して配慮していること、争議行為の期間も一日間の一斉休暇であること、小・中学校においては、研究発表会、研修会等のため多数の教職員が出張することもあり、児童の年間平均出校日数は通常文部省の定める基準日教を相当上廻つていること、などの諸点から考えて本件被告人らの煽動した争議行為は違法性の強い争議行為とはいえない、と判示している。しかし、学校教育が正常に運営されるためには、単に計画された授業が予定どおり実施されるのみならず、学校当局、教職員および児童生徒の保護者との間に正常かつ平穏な関係が保たれることも必要である。公立学校の教職員が法律によつて禁止された争議行為を敢行することは、たとえそれが一日間であつても学校当局との間に紛争を生じ、児童生徒およびその保護者等にも多大な不安感を与えるに至り、住民生活に及ぼす障害の程度は大なるものがあるというべきである。

6 以上論述した諸点よりして、原判決が、地公法六一条四号の処罰の対象となる煽動行為等は、煽動行為等がなされた争議行為が特に違法性の強い場合に限るべきであると判断している点は、憲法二八条の解釈を誤り、かつ、前掲政令二〇一号事件についての最高裁大法廷判決に違反することが明らかである。さらに、右判断は、前掲都教組事件について東京高裁判決が、公務員の職務の公共性が大であること、公務員の勤務条件は法律または条例により適正に保障されていること等の理由を挙げて地公法六一条四号が憲法二八条に違反するものではない旨判示しているところ相反するものである。

右の憲法解釈の誤りおよび判例違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第二点 原判決は、憲法三一条の解釈を誤り、かつ高等裁判所の判例に違反する。

一、原判決は、「実行行為者を処罰しないのに、煽動行為者のみを処罰し、しかもそれについて実行行為の有無を問わないというのは、一般の刑罰法体系からは全く特異なことである。一般に煽動行為等の予備的段階の行為を独立して処罰するのは既遂行為が重大な犯罪である場合に限られ、また教唆者、幇助者、煽動行為者等の共犯者を処罰するのは実行行為が可罰的なものであり、かつほとんど実行行為がなされた場合に限られている。したがつて争議行為の実行行為者を処罰しないのに、その煽動行為者等を処罰し、しかもそれについて実行行為の有無を問わないというのには、それだけの合理的理由がなくてはならない。しかも争議行為は団体構成員の全員または多教の討議により決定され、団体の幹部はその決定に従つて形式的に争議行為の実行の指令を発する等するに過ぎない場合もあり、争議行為は常に幹部等の煽動行為等によつてのみ行なわれるものとはいえない。したがつて、争議行為において常に幹部の行為が実行行為よりも、より可罰的であるとはいえないとして、地公法六一条四号について、特に違法性の強い争議行為の煽動行為等だけが処罰の対象となると限定的に解釈しない限り、同条項はこの点で憲法三一条に違反するというのである。

二、しかしながら

1 既述のごとく、争議行為は、通常積極的能動分子による一般組合員への働きかけによつて惹起されるものであり、かような積極的能動分子は、争議行為に原動力を与える点において一般参加者よりも違法性が強くこれに刑事罰を科することは、十分な合理的根拠を有するものであつて、地公法六一条四号はなんら憲法三一条に違反するものではない。

2 実行行為を処罰しないでその煽動行為等を処罰する立法例としては、道路交通法一一条に違反して行列が行なわれた場合、同法一二一条一項により実行行為者である単なる参加者は処罰されず、その指揮者だけが処罰され、また、売春防止法三条は売春行為そのものに罰則を設けず、その六条、一一条で売春の幇助的行為を処罰している。

これはいずれも、実行行為よりも指揮幇助等の行為を違法性の強いものとして刑罰をもつてこれを禁止しようとする立法趣旨と認められる。また、実行行為の有無を問わず煽動行為等を処罰する立法例としては、地方税法二一条等があり、決して異例ではない。したがつて、地公法が違法な争議行為の原動力となる煽動行為等だけを処罰することはなんら憲法三一条に違反するものではない。

もし原判決のいうがごとく、実行行為を処罰せず煽動行為等を処罰することが刑罰法体系からみて不合理であるとすれば、原判決のいう違法性の強い争議行為が行なわれた場合でも、その煽動行為者だけが処罰されることとなるのであつて、原判決自ら自己の見解の矛盾であることを認めたことになるであろう。

三、この点に関し、前記都教組事件についての東京高裁判決は、

「地公法第六一条第四号が、争議行為の実行者を処罰しないで、これを共謀し、そそのかし、煽動した者、またはこれらの行為を企てた者を処罰するのは、争議行為の原動力となり、これを誘発、指導、助成する、その共謀者、慫慂者、煽動者あるいはこれを企てた者だけを処罰することによつて、このような集団的な違法行為を禁遏し得ると考えたからである。違法行為が実行に移される前の段階において、その原動力となり、これを誘発、指導、助成する行為を禁遏することによつて、未然に違法行為の実現を防遏し得るし、争議行為が実行された場合においても、その原動力となり、これを誘発、指導、助成した者を処罰すれば、その違法行為を実行した者、本件について言えば四月二十三日の一斉休暇斗争に参加した二万四千人の教職員の一人一人を処罰する必要はないのである。

地公法第三七条第一項において公務員の争議行為を禁止し、これを違法行為としながら、その実行者を処罰する規定のないことは明らかである。また従来の刑罰体系からみて、犯罪の実行行為を処罰しないで、その共謀や、教唆煽動のみを処罰することが例外的措置であることも所論指摘のとおりである。しかしながら、犯罪の実行行為そのものより、その共謀、教唆、煽動の方が可罰性が強いときは、実行行為を処罰しないでその共謀、教唆、煽動のみを処罰することは少しも不合理ではない。通常の犯罪において犯罪の実行が最も可罰的評価の高いものであることは否定し得ない。したがつて可罰的評価の最も高い犯罪行為を処罰しないで、その前段階における予備、陰謀、未遂を処罰したり、教唆、煽動を処罰することは不合理なこととを考えられる。しかしながら、法律をもつて禁止された争議行為という違法行為の実行は、個々の行為者の所為一つ一つを切り離してみたとき、それは可罰的価値を有しないのである。勿論その一つ一つの実行行為が集合して集団的違法行為となるとき、それは大きな反社会的違法行為となるけれども、その集団的違法行為の責任は、多衆を結合せしめて争議行為に動員した者、すなわちその原動力となつてこれを企画、立案、討議して動員指令を発した者にあるのである。したがつて、この中核、原動力となつた共謀者、教唆、煽動者或はその企画者を処罰すれば足りるのであつて、動員されて争議行為に参加した一人一人の実行行為は、最早処罰の必要がないのである。争議行為という組織的違法行為においては、その原動力となる組織指導者の共謀、教唆、煽動の所為と、これによつて争議行為に参加した個々の争議行為実行者の所為とは全くその可罰的評価を異にし、その前者を処罰することにより、後者は全くその処罰を必要としないのである。地公法第六一号第四号は、少しも合理的根拠を欠くものでなく、なんら憲法第三一条にも違背するものではない。」

と判示している。原判決の前記判示は、右東京高裁判決の判断に相反するものといわなければならない。

右の憲法解釈の誤りおよび判例違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第三点 原判決は憲法一八条の解釈を誤り、かつ最高裁判所および高等裁判所の判例に違反する。

一、原判決は、「憲法一八条のその意に反する苦役とは単に苦痛を伴う労役のみと解すべきではなく、本人の意思に反して他人のため強制される労役も含むものと解するのが相当であるから労働者が単に労働契約に違反して就労しなかつたとの理由だけでこれを処罰することは、結局刑罰の威嚇によつて人の意に反する苦役に服させることになるので、憲法第一八条に違反するものである。したがつて個別的に労働契約に違反して就労しなかつたことそのものを行罰するのではなく、集団的な争議行為の煽動行為等を処罰するにしても、前記のとおり煽動行為等のない争議行為というものは考えられないので、煽動行為者等を処罰するには違法行為等をした場合に限ると解するのが相当であると判示している。

二、しかしながら、既述のとおり、労働契約に違反して就労しなかつたという争議行為自体と争議行為の煽動行為とは明らかに区別し得るものであつて、地公法六一条四号は後者を処罰対象としているが、前者を処罰するものではない。したがつて、同条項が争議行為自体を処罰の対象としていると解する原判決の判断は、その前提において誤つているものというべきである。

次に、労働者が労働契約に違反して就労しなかつたとの理由だけでこれを処罰することは憲法一八条に違反する旨の原判決の判断は、前掲の政令二〇一号事件最高裁大法廷判決および都教組事件東京高裁判決の各判断に相反するものである。

すなわち、右最高裁判決は、「公務員は政令二〇一号によりその第二条第一項に該当するいわゆる職場離脱を禁止せられたけれども、人格を無視してその意思に拘らず束縛する状態におかれるのではなく、所定の手続を経れば何時でも自由意思によつて、その雇傭関係を脱することもできるのである。それ故、所論のように同政令が憲法第一八条にいわゆる奴隷的拘束を公務員に与え、その意に反して苦役を課するものであるということはできない。」と判示し、

また、都教組事件東京高裁判決は、

「憲法の保障する苦役からの自由は、自由を拘束してこれに苦役を強制することを禁ずる趣旨と解すべきである。公務員は、その公務員たる地位にあると否とは、その自由であり、自ら公務員たる地位にある限り、自らが構成員である国または地方公共団体の住民に対抗して、勤労不売の斗争を禁止されているに過ぎない。その結果、公務員が就労執務を余儀なくされても、それは公務員が公共の福祉を実現するための責務であつて、苦役からの自由を奪われるものと解することはできない。」と説示している。

したがつて、原判決の前記判示は憲法一八条の解釈を誤り、かつ右両判決と明らかに相反する判断をしたものといわなければならない。

右憲法解釈の誤りおよび判例違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第四点 原判決は憲法二一条の解釈を誤り、かつ、最高裁判所の判例に違反する。

一、原判決は、「憲法第二一条の観点からすると、地方公務員法第六一条第四号は争議行為の実行行為の有無を問わず煽動行為者等を処罰するものであり、言論等の表現活動の段階にあるものを処罰しようとするものであるから、右煽動行為者等を処罰するには明白な危険を伴う違法行為の強い争議行為の煽動行為等をした場合に限ると解するのが相当である。」と判示している。

二、しかしながら、憲法二一条は表現の自由を保障するがこれは全く無制約なものではなく、公共の福祉の要請により制限されることのあるのは当然である。原判決は、煽動行為等を処罰するには明白な危険を伴う違法性の強い争議行為の煽動行為等をした場合に限る旨の限定解釈をしているが、かく解すべき理由はなんら存せず、かかる原判決の見解は左記各判例に相反するものである。

すなわち、昭和三〇年一一月三〇日の唐津警察署員等に対する怠業的行為教唆事件最高裁大法廷判決(刑集九巻一二号二五四五頁)は、警察署員に対し怠業的行為をそそのかす行為を処罰する国公法一一〇条、地公法六一条四号の規定は憲法二一条に違反しないとし、

「憲法における言論の自由といえども個人の無制約な恣意のままに許されるものではなく、公共の福祉のために調整されなければならぬ場合があるのである。されば国家公務員に対し、その使用者としての公衆を代表する政府の活動能率を低下させるような怠業的行為の遂行をそそのかし、又地方公務員に対し、その使用者としての住民を代表する地方公共団体の機関の活動能率を低下させるような怠業的行為をそそのかすことは、それぞれ国民全体若しくは住民全体に奉仕すべき国家公務員又は地方公務員の重大な職務の懈怠を慫慂し教唆するものであつて、公共の福祉に反し、憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱するものである。」

と判示している。

したがつて、原判決は憲法二一条の解釈を誤り、かつ、右判例に相反する判断をしたものというべく、右の憲法解釈の説りおよび判例違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

以上いずれの点よりするも、原判決は破棄を免れないものと思料する。

以上

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